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店主の『いちおし』なんですか?|Vol.09 hatomame

  • パン
  • 山食
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  • 食パン

\CONELメンバーインタビュー/
店主の『いちおし』なんですか?
Vol.09 hatomame/凪‐山食‐

CONELメンバーが作る『いちおし』を紹介する、この連載。

今回登場するのは、hatomame(ハトマメ)の西村さん。

初登場となる、パン職人さんです。

配達係で入ったつもりが、老舗パン屋の職人に

浅草・田原町にある『パンのペリカン』。商品は、食パンとロールパンの二種類のみ。「毎日食べても飽きの来ない味」を掲げ、昭和17年からずっと変わらない味を提供し続ける老舗であり、行列の絶えない人気店だ。

そこでパン職人として働いていたのが、西村さん。ただ、はじめは職人ではなく配達係として入ったという。ペリカンを選んだ理由は、たまたまタウンワークで見掛けたから。それが入社二日後には、ロールパンを巻く“羽目”になっていたという。

「初日の午前中に配達が終わって帰ってきたら、『配達の方は、午後はロールパンの巻きを手伝ってください』って言われて。そうなんだ!? って。

昔アルバイトをしていたレストランが、指導の時にトングがビュン! と飛んできたり、怒るとラフな言葉遣いになる先輩がいたりする、古き良き時代のところだったんです(笑)。それでずっと『職人こわ~い』と思ってたから、自分が職人さんのお仕事をするなんてとても考えられなくて」

この日は「ちょっと心の準備が……」と言って、ロールパンの巻きから逃れた西村さん。帰宅後、悶々としながらタウンワークで新しい職を探していたところ、家族に「巻くくらいならいいじゃない、案外楽しいかもよ」と言われてしまう。そうして送り出され、仕方なく二日目も出社したそう。

「午後になって工房に入って、白衣を着たんです。そこで鏡を見たら、ギャー! 職人の見た目になってる! 帰りたい! って」

西村さんが、身振りを交えながら臨場感たっぷりに再現してくれる。そうして工房に入ってロールパンの巻きを手伝うわけだが、職人さんたちにちょこちょこ直されてしまう。「みんな無口だから、口じゃなくて手を出すのよね」と笑いながら振り返る西村さん。

そんな中、西村さんが親しみを込めて「ジジィ」と呼ぶ、当時いちばん長くいた職人さんが、巻き方のコツを教えてくれたそう。

「教えてもらえたら、それなりに出来ちゃって。ジジィにも『なんとか出来てるじゃん』って言ってもらえて、終わる頃には職人さんたちが20個仕上げるうちに18個くらいのスピードは出せるようになったんです。それで『やだ、向いてるのかも!』って思っちゃったんですね……(笑)」

立ち仕事に疲れて「今日こそ辞めよう」と思う日もあったそうだが、接客や会計を担当する「ペリカンレディース」たちが優しくて、一日、もう一日と働き続けたという。

そうしてパンづくりの腕を上げた西村さんは、2ヶ月後には巻きを教えてくれた職人さんに「配達やめて、職人になりな」と言われるほどに。渋々承諾して2日間の研修を受けたそうだが、パンの成形をしていたとはいえ作り方については知識がなく、覚えることが山積みで苦労したそう。

「はじめはパンを膨らませるイーストの役目もわからないし、生地を伸ばす機械の扱いもわからない。人間が入りそうなくらい大きなオーブンで焼くから、毎日40度の中での作業だし、地獄でした。

でも全然上手くできないのが悔しくて、粉や水、温度や湿度の変化と真剣に向き合っていたら、それがまたジジィに評価されちゃって(笑)。最終的にはパンづくりを一から任せてもらえるようになって“居心地のいい地獄”にはなったかな」

口では地獄と言いつつも、楽しそうな西村さん。ペリカン時代の西村さんの姿は、ドキュメンタリー映画『74歳のペリカンはパンを売る』にチラリと映っているので、気になる方は是非観てほしい。

味付きのパンは「売れる」けど、hatomameのパンではなかった

きっかけはたまたまだったが、職人として毎日真剣にパンづくりに取り組んでいた西村さん。だが、日々の重作業により肩の骨に穴が開いてしまい、腕を思うように動かせなくなってしまう。心配したペリカンの代表に、工房での作業より体の負担が少ないのではと新しく出来るカフェのマネージャーを打診され、引き受けたそう。「それまでみたいに動けないのに雇ってくれるなんて、有難いですよね」と、しみじみ振り返る。

ペリカンカフェでは店舗運営を一手に担っていたそう。だが、肩の次は首の調子も悪くなってしまい、西村さんはペリカンを去ることになる。

「はじめはあれだけ『イヤ!』って言ってたのに、いつの間にか大切な場所になっていたので辞めるのは寂しかったです。みんな盛大に惜しんで『戻ってきてね』なんて言ってくれました……」

2年ほど治療して、肩と首の調子は回復。ペリカンには「また迷惑をかけちゃうかもしれないから」と戻らずに、学んだ技術を活かして間借りでカフェをはじめる。

その後、浅草に店舗を借りて移転したものの、コロナウィルスの影響で客足が伸び悩んでしまう。そこで、シェアキッチンでの活動に切り替えた。西村さん曰く、はじめのうちはパン屋なんだからと意気込み、沢山の種類のパンを用意していたそう。

photo:当時浅草の店舗で販売していた沢山の種類のパン

「それが売れはするんですが、段々と苦痛になってきて……。だからある時、家族にどのパンがおいしいと思うか聞いたんです。そしたら『特にないよね』って。頑張って種類を増やしたのに、まさかの答え(笑)! でもそれで目が覚めて、自分が作りたい“毎日食べておいしいパン”を作ろうと吹っ切れました」

それ以来、無理をして種類を追求するのはやめて、スコーン以外はプレーンなパンに統一。今は、丸食(まるしょく)、山食(やましょく)、スコーンというラインナップを中心に据え、イベント時だけのお楽しみメニューとしてベーグルや味付きのパンを出している。

そんなラインナップの中、西村さんがいちおしの品に選んだのは、「凪‐山食‐」。イギリスパンと呼ばれる、山形の食パンだ。

西村さんが作る「凪‐山食‐」は、流行りのパンのようにむちむちした食感ではない。バターや生クリームがたっぷり入った、コクのある味わいでもない。ふっくらとした弾力と、適度な歯切れ、ほのかな小麦の香り、地に足のついたおいしさがある。食べ進めていくと「パンってこういう食べ物なんだな」と、じわじわ感じられる。

「凪って変な名前ですよね。これは、ジジィの名前から付けたんです。私のパンの師匠で、マブダチでもある名木(なぎ)さん。彼がいなかったら、パンのことをこんなにも深く知ることはなかったし、とうの昔に職人は辞めていました。

hatomameをプレーンなパンの店にすると決めたからには、彼の名前に恥じないものを出したい。そう思って作ったので、たくさんの人に愛してもらえたら嬉しいです」

この山食の完成度をさらに高めたあとは、角食(かくしょく)という四角い食パンを「凪」のラインナップに加える予定。それ以降、hatomameのパンの種類は「増えません」とのこと。すっぱり言い切る西村さんから、名木さんへの尊敬とパンへの愛を感じる。だが、こんなに慕っている名木さんには特に連絡を取っておらず、「凪」のことも伝えていないんだとか。「いつか『あいつ、うまいの作ってるな』って、ジジィの耳にも届くといいな」と、職人・西村さんは語った。

取材・文=炭田友望/写真=CONEL

hatomame/西村さん

CONEL お菓子職人紹介

店名の由来は「葉と豆」。1996年に紅茶専門店をスタートし、休業期間中に浅草・田原町の「パンのペリカン」でパンの技術を獲得。その経験を活かし、毎日食べても飽きないパンを作り続けている。
また、この5月にconatoを卒業し、浅草にて「喫茶ハトマメ」を開業予定。

・活動キッチン:conato(清澄白河)

・Instagram:https://www.instagram.com/hatomamelife/

・ホームページ:https://hatomame.simdif.com/

・ネット販売:https://hatomameweb.theshop.jp/

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